サボテンの華

  • Lobivia aurea v shaferi R151
    サボテンの花や棘などの写真集です。 異空間の魅力を覗いてみました。 どうぞ。

サボテンと生き物

  • 蟻とタヨペンシスの花
    サボテンや多肉植物に集まってきた昆虫などの写真です。 小さなフレームですが、色々な生き物と遭遇しました。

ケイリドプシスの花の秘密!を楽しむ

実生ケイリドプシス ペキュリアリス(Cheiridopsis peculialis、翔鳳)は、今年も元気に黄色の大輪花、多数の花弁と雄しべ!

何処にそんなエネルギーがと、毎年思っています

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ところで、

”フィールドワークで知る ナマクアランドの多肉植物、フロレント・グルニエ著、河野忠賢翻訳・監修、グラフィック社”を読むと、ケイリドプシス シュレクテリ(C.pilansii)の花は「多数の花弁のように見えているのは、実際には葯を失い不稔となった雄しべの集合であり・・・、こうした不稔の雄しべは花弁状雄蕊petaloid staminodeと呼ばれる」と説明されていました

この多数の花弁が花弁状雄蕊!

さらに、色々確認するとハマミズナ科は花弁を持たず、花弁状雄しべということでした 

そうなんだ、今まで知らず楽しみ、・・・ そういえば、花弁の上に雄しべが付いていたこともあったな~と、これからは知って楽しむということか

こちらは、そんなこととは関係なく、誘引されて花粉を集めるハナアブと夏眠に入っている一昨年の実生苗です

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この子苗は、秋にはロバの耳(eseloor,donkey ear)様の葉に変身するはずです。

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夏の赤花アルストニーの姿

赤花アルストニー(アボニア クイナリア Avonia quinaria)の7月上旬の記録です。

20数個の花殻(というより完全開花まで至らないのが殆ど)と萎れた鱗状托葉130程度を整理しました・・・風通し良いスカスカ状態になってしまい、寂しい雰囲気。

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それから4日後、葉の付け根に、薄緑色の小さな托葉が見えました!

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同じ場所から、すぐ出てくるんですね~ よかった。

あらためてコーデックスの本「NHK趣味の園芸 多肉植物・コーデックス  長田 研」を見ると、”夏は通風を図り、適度に遮光して、水もやや控えめにする”・・・そのようにしよう!

以上

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ナミビアのリトープス冊子

ナミビアのリトープス16種を紹介した冊子(LITHOPS of NAMIBIA, R. Earle & J Round)を入手しました。

発見の経緯や自生地、性状を簡潔に紹介したB5版、51ページ

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既に、ナミビアのリトープスについてはコール夫妻の冊子(Lithops of SWA/Namibia、1987)が知られていますが、こちらは画像が豊富でパラパラ読むのに最適でした。

ところで、

ナミビアのリトの内、今季はアミコルムamicorum曲玉系ボルキー(宝貴玉、volkii)が初花となりました。

一方、ヘルメティカhermeticaは消滅してしまいました・・・いつか再チャレンジしたい。

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* 表紙写真の留蝶玉 L. ruschiorum, 2013年実生

さて、リトープスの呼称はアフリカでは、"beeskloutjies"(little hoofs of a cow)が一般的とのこと。宝石というより蹄なんですね。

ということで、丑年もリトの栽培に励みたい。

*クリックで拡大します。

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ケイリドプシス ペクリアリス、寒くなって昨夜発芽

昨日は一日中肌寒く、富士山には雪。

そんな気温が良かったのか、葉物メセンのペクリアリス(翔鳳)が7,8個発芽していました。

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*ペクリアリスの発芽(12日目)。双葉の幼苗は播いて4日ほどで発芽した(計4個)

初結実した種子40数個を蒔いてしまったけど、もうこれで充分。

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*Cheiridopsis peculiaris, 翔鳳 2015年実生

上は片親。2週間ほど前に枯れた旧葉を取り除いても、新葉は閉じたまま。昨日水やりしたら、すぐ展開してきました。

1号アップしたけ鉢、もう4対の葉で窮屈になってしまった (-_-;)

ということで

翔鳳は、”南アのリトルナマクアランドの特異な植物で、生長期の間に想像を超えた形態変化をし、葉姿は最も珍奇な植物・・・”というような魅力が「多肉植物サボテン語辞典 shabomaniac! 監修、主婦の友社」に記載されています。今回、開花株になるまでの変化も眺めたいため実生した次第、まずは順調スタート。

<追加> 今夕の富士山。

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コノ カルクルスの透明な薄皮

夏眠中のコノフィツム カルクルスConophytum calculus)は、表皮に皺が寄りだし、割れたり、褐色になったりしています。

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その割れた表皮は、二層ぐらいに剥がれていました。

新球は剥き出しではなく透明な薄い内皮に包まれています!

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三年前、カルクルスの旧皮内側から覗いた写真を撮り、褐色斑点を確認したことがありました(クチビル様は割れ目部分)。

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今回、楕円形の褐色斑点と内膜との位置関係がおぼろげながらわかりました。

なお、隣の一番大きい苗には、薄っすら線状の影。 内部が凹んでいる感触!

「コノフィツム全書、conocono/須藤 浩著、主婦の友社、2020年」によると、”・・・1~2年おきに分球して十数頭の群生株となる”とのこと・・・いよいよかな

以上

この六年前の実生苗、まだ花も咲きませんが、今秋は違った姿になるかもしれません。

<追記>、上記コノフィツム全書は自生地の様子や園芸品種のこと、栽培のことなど、第一人者が書かれたことだけあって、大変判りやすい内容でした。

☔ご訪問、どうもありがとうございました😃

”橫濱植木株式會社”の古絵葉書

趣味のサボテンに関する古絵葉書を入手した。といっても、古いめかしい園内の様子で、サボテンは見当たりません。

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この横浜植木株式会社は大正6年1917(1917)、「仙人掌及び多肉植物名鑑」を発刊、著者は棚橋半蔵氏。

この辺りは「日本さぼてん史」、「サボテン今昔」にて平尾博氏が詳述しております。

絵葉書の発行年代は明治40年~大正7年ゆえ、この名鑑が発行された頃と重なります。

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百年前のサボテン界の雰囲気として、自序(橫濱植木株式會社)とINTRODUCTION(HANZO TANAHASHI)を掲載しました。

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ということで

これも縁、当時の貴重な記録と思ってます。サボテンの無い古絵はがきで、当時の様子を逞しく想像しています。

* 画像はクリックで拡大します。

☀ ご訪問、どうもありがとうございました😃

江戸時代の”鮎壺の滝” (2)

伊豆半島ジオサイト”鮎壺の滝”の呼称について、マニアックな地元ネタです。

現在、鮎壺(AYUTUBO)と呼ばれている滝の江戸時代の呼称について調べました。

①藍壺の瀧について:享保20年(1735年)白隠禅師は、滝壺の藍色から”藍壺”の偈頌(ゲジュ)を詠んでいる(「荊叢毒蘂」)。

②鮎壷の地名について:滝傍の石造物に、鮎壷邨の地名が刻まれている(享和二(1802)年)。

③鮎壺の滝について:「駿河志料(文久元(1861)年、新宮高平著、橋本博校訂、歴史図書社1969年)」、藍壺瀑布の項に鮎壺の由来が記述されていた。

そこには「藍壺瀑布:村の西、藍壺新田にあり、足柄古道黄瀬川の上流にして・・・此川筋下流は鮎多し、・・・此瀧壺より上に登り得ず、故に鮎壺と云うなるべし」。 藍壺地区とか、鮎が群集するので鮎壺とも呼ばれていたと記述されていました!

友釣り発祥の地ともいわれる狩野川の支流ゆえ、当然遡上し、群集する鮎の姿が印象的であったのだろう。

ということで、古くから滝壺の藍とか鮎からそう呼ばれていたことが確認できました。

それが、明治になると藍壺の滝とか富士見の滝と呼ばれだし、鮎壺の滝は大正のころから再び登場し、昭和30年代には定着したという変遷を確認しました(書籍、地図、絵はがきなど)。

なお、富士山は変わらず眺められますが、環境変化に伴って藍色や鮎も見られなくなってしまったのは残念です。

(参考までに)

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* リンク先は、関連する記事になります。

☀ ご訪問どうもありがとうございました😃


 

赤紫小花一輪、姫春星

マミラリアの姫春星が開花し始めました。

例年通り先行して、赤紫の小さな花が一輪。

これから続々と咲き始めると、もう春の雰囲気です😃

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ところで、私も”ビザールプランツ 冬型珍奇植物最新情報”を購入しました。

今期仲間入りしたケープバルブやコノフィツムの事を知ること、その道のパイオニアたちの考え方や行動力、そして栽培ノウハウを知るためです。

ネットで得る情報にくらべて、ナルホドな~とより身近に感じる力がありました。

☀ ご訪問、どうもありがとうございました😃

「テキーラの歴史」を読んでアガベを知る

猛暑ゆえ図書館で「テキーラの歴史、イアン・ウイリアムズ著 伊藤はるみ訳、原書房」を読んでいます・・・テキーラを飲んだことも無いし、アガベを栽培したことがありませんが。

アガベから作るテキーラ、メスカル、プルケなど一応名前は知っていたので、少し掘り下げようと思い立った次第。

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以下は、なるほどと思ったことの列記。

・アガベはスペイン人がマゲイ、メキシコ先住民がメスカルと呼んだ植物の学名。

(テキーラのこと)

・名前の由来:アステカ人のナワトル語で「切ることができる場所」という意味。黒曜石が採れた火山の名前→町名→飲物→原産地呼称となった。伊豆・神津島産黒曜石の縄文時代の流通について、最近知ったので・・・

・ハリスコ州テキーラ村の"アガベ テキーラ ウエベル バリエダ アスル"という純粋種から作る。そのため、ランナーから増やし8年かかる。

・アガベの受粉は、弁慶柱と同じレッサー ハナナガ コウモリ(Lesser long-nosed bats)が仲介。ただし、この自然受粉だと雑種ができるので、種子から増殖をすることはない。

・苦みの元となる葉を1センチほど切り詰めた球茎(ピニヤ)中には、澱粉ではなく、イヌリンを貯めこんでいるということ。

(メスカル)

・オアハカ周辺の一定地域で、各種アガベを原料とする蒸留酒のこと。

・地酒・・・ライシージャ(アガベ マキシミリアーナ)、バカノラ(アガベ パチフィコ)、ソトル(アガベ ソトル)等ある。

・ドイツの探検家・植物学者 アレクサンダー・フンボルは旅行記のメスカルの事、記述していた。

(プルケ)

・伸びたアガベの花茎に穴をあけて、出てくる樹液(アグアミゲル、蜜の水)を取って、自然発酵されたもの。 少し酸味があってアルコール度数5~8%。

・用いるアガベ(アトロヴィレンス、サルミアナ、マピサガなど)の総称をプルケロと呼ぶ。

など、

そして、

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この本のお陰で、maguey pulquero, Agave atrovierens、単語の繋がりが判りました。

☀ご訪問、ありがとうございました😃

*オアハカのマゲイについての前回記事は、こちら。

*フンボルトの前回記事(姫春星)は、こちら

 

”鮎壺の滝”と魚の雑談

伊豆半島ジオサイト”鮎壺の滝”のマニアックな話題、それも滝壺にいる魚について。
この滝つぼに鮎が群集していたので、そう呼称された(大正三年 長泉村沿革誌より)というのは、狩野川水系・黄瀬川なので納得していますが・・・
現在いる魚は・・・といっても、? なので、魚に関する雑学です。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・
昭和29年4月26日、「七人の侍」(黒澤明監督)が封切られました。
戦いの前、侍たちが集落へ行く途中・・・・・・菊千代(三船敏郎)が滝壺に潜って、魚を捕まえるシーンがありますが、その撮影場所が”鮎壺の滝”
滝上では六人の侍と百姓達がにぎり飯を食べながら、様子を伺っています。
・・・で、手づかみした魚は? 
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「映画情報(国際情報社、1953年9月)」のコラム・スタジオ冗談風景「コイはつらいもんじゃワイ」では、鯉に何回も逃げられ、足りなくなって買いに行ったとの裏話。

う~ん、何回ビデオを見ても鯉ではないし、鮎でもなさそうだが・・・ 戦国時代の清流に住む魚・・・やはり鮎と思いたい。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
Photo

上のパンフレット「ぬまづ」(昭和29年3月発行、沼津市)には、鮎壺の滝と釣り人が掲載されていました!

タモ網を肩にかけ、竿は右手方向に長くのびている・・・鮎釣り?が一番似合っている。
こんな風景良いな~
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
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それから30年後に発行(昭和58年、1983年)された絵はがき「入選写真集 沼津新八景」の一枚。
タイトルは”銀鱗跳ねるあいつぼの瀧”。
真っ白い富士山ゆえ鮎ではないが・・・跳ねる姿、見たかったな~、そうありたいな~
なお、三資料とも右側の滝口と滝壺になります。
以上
 ジオサイトの資料調査?いや雑談のネタ報告でした。
現在、つり橋からは大きな鯉がたむろしているのが見えますが、鵜やカワセミが捕まえる小魚を是非とも見たいものです。
* 鮎壺の滝の前回記事(大正天皇と富士見の瀧)は、こちら
*<追記> その他、魚に関する話題
1.駿河志料(文久元年、1861年)には、遡上できず滝壺に鮎が群集しているので、鮎壺と呼称していると記述されている。
2.昭和44年5月下旬、滝壺でマス釣り大会が開催された(広報ながいずみより)
 ご訪問どうもありがとうございます(^0^)

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